「世間は身近な自然環境の保護に関心があるか」


水俣病と四日市ぜんそく。平成12年度から始まった新教育課程により教科書の内容が大幅に削られたとはいえ、この言葉を知らない人はいないだろう。わが国で初めて公害が社会問題として取り上げられてから約50年、自然環境に対する社会の考え方も変わってきたように思う。

1997年の地球温暖化防止京都会議で、2008〜12年の間にCO2など6種類の温室効果ガスの排出量を先進国全体で1990年より5.2%減らすことが決められた京都議定書が採択された。ブッシュ大統領はアメリカ国内の利益を最優先とするため、京都議定書を不参加とした。アメリカは地球全体の温室効果ガス排出量の36%を占めているにもかかわらず。
自分の国をNo1と信じて疑わないアメリカの身勝手さをいまさら批判しても仕方ないが、経済の発展を抑制するような京都議定書に日本を含む先進諸国が参加したのは、自然環境保護のための前向きな取り組みだと思う。

環境重視をうたっている愛知万博では、開催予定地に絶滅危惧種であるオオタカの営巣が見つかったため、メイン会場を縮小して愛知青少年公園に別会場を造ることにした。
オオタカが生息するには、針葉樹と広葉樹からなる広大な森林が必要であり、その面積は3,000〜5,000haといわれている。メイン会場を縮小したとはいえ、森林を開発すれば隣接する自然への様々な影響が考えられる。一度破壊した自然は、人間が意識するような時間では元に戻らない。なんのための環境重視かはなはだ疑問だが、それでも自然環境のために公共事業の計画を一部変更したことは、昔では考えられないことだった。
蛇足だが、愛知青少年公園は私が子供の頃に父親に連れられてよく遊びにいっていた。お気に入りの公園だったので、万博のために潰されてしまうのは残念でならない。造ったばかりの室内プールも万博のために壊してしまうのだから、税金の無駄遣いとしか思えない。今後、もし愛知県における少年犯罪が増加したら、愛知青少年公園がなくなったこととの関連性が疑われないだろうか。

それにしても、なぜ私の家の近くを流れる川はいつになっても汚いのだろうかということが疑問でならない。社会的に自然環境保護の気運が高まりつつあるはずなのに、相変わらず家庭からは生活排水が未処理のまま、近くの川へ垂れ流されている。今年は阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝するのはもう時間の問題だが、日本一飛び込むのに危険な川と言われる道頓堀はいつになってもきれいになるけはいすらない。もし阪神が道頓堀の清掃キャンペーンなどを毎年行うのなら、さすがの私も中日ファンから阪神に乗り換えることを考えるかもしれないが。

結局、身近な環境はそこに住む人の意識が変わらないことにはなにも変わらない。50代、60代の人なら、かつてきれいだった川の姿を覚えているかもしれないが、若い世代は身近な川や池が汚いことがあたり前になってしまっている。「三尺流れれば水清し」の意味が分からない人も多いのではないだろうか。
道頓堀が日本一汚かろうが、池に溜まったヘドロから悪臭がしようが、まったく構わないというならそれでいい。結局、環境がいい悪いなどというのは人間の感覚が決めることである。ドブ川にも適応できる生物はいるし、そういう意味では、汚い環境に適応した人間が増えてきたということか。
しかし、川は底が見えるほどきれいな方がいいというなら、草の根的に自然環境保護活動をするしかない。地域や世界の自然環境保護について文句を言う前に、もっとやるべきことが他にあるはずだ。


2003/09/02 H.Baba