韓国研修旅行記

企画営業課 三代幸男


 今年4月22日から二泊三日で、韓国への研修旅行に行ってきた。社長、部長の他、勤続10年を迎えた社員5名の総勢7名での旅であった。おりしもその一月ほど前、島根県議会において「竹島の日」条例が可決され、連日、韓国での対日批判の風が吹き荒れていた時期であった。

 初日、インチョン国際空港へ降り立った一行はマイクロバスに乗り換え、最初の目的地である「茶山(タサン)」という会社に向かった。噂に聞いていたソウルでの交通事情。運転手の方は右へ左へと車線変更を繰返し、また回りのドライバーも同じように少しでも流れの良い車線へと進んでいく。日本の、しかも地方でしかあまり運転する機会の無い我々にとっては少々冷や汗であった。

途中、ジョーさんと合流して数年ぶりの再会を祝った。ジョーさんというのは数年前、当社で1年間ほど研修社員として活躍していただいていたことのある、韓国でも大手の総合建設業「大同」という会社の社員である。今回、我々の案内や通訳を買って出ていただいていた。

午後3時頃ソウル市内の大渋滞をくぐりぬけ、建設コンサルタント会社「茶山」に到着した。早速、朱(チョー)社長、朴(パク)専務、その他の方々に迎えていただき、名刺の交換をさせていただいた。しかしその時は、名刺に書かれた名前を何と発音して良いのやら全く分からない。今更ながら少しもハングル文字の勉強をしておかなかったのが悔やまれた。

「茶山」は社員数約50名で、当社とほぼ同じ規模の会社であった。しかしさすがに都心に会社を構える会社だけあって、地方の建設コンサルタントとはまた別の高度な技術を要求される業務を受託しているようである。会社の中で仕事の様子を見学させていただいた。やはり完全にCAD化されているらしく、図面台など一つも見当たらない。社員の方々もこちらと同じく、少々緊張ぎみであるように感じられた。机は皆同じ方向に向けて並べられ効率性を重視しているのであろうと想像した。手掛けている業務を一つ紹介していただいた。高速道路と並行する河川を同時に設計するという、難度の高そうな業務であり、「turn key」と呼ばれる日本で言うところの「プロポーザル方式」で受託した業務とのことであった。

そして夜には「茶山」の方々数名に、懇親会を開いていただいた。しかも韓国の生の様子を見せたいという先方の思惑から、観光客がよく訪れるようなレストランではなく、主に地元の人が利用している普通の韓国料理の店に案内された。最初に朱社長、藤井社長から、これまでの両社の交流についての説明があり、さらに現在の日韓の政治的にギクシャクした状況を、民間の力で乗り越えていきましょうとの挨拶があり、友好ムードのうちに始まった。

懇親会とは言うものの全く言葉の通じない人を前にどうコミュニケーションすれば良いのやらと内心焦っていた。幸い、向かいに座ったソクさんが日本語に堪能な方で一安心。と思いきや、その隣の趙(チョー)さんから「英語で話しませんか?」との申し出に、私の隣に座る同行の那須さんが「この人は話せますから」と、こちらに水を向ける。再び、今日、何度目かの冷や汗が流れ始めた。もちろん英会話の経験など学校を出てからほとんど無い。しかし中学高校と6年間も習ったはずの英語を全く離せないでは、それこそ恥を晒すことになると思い、覚悟を決め・・・「a little.」と二十数年ぶりの英会話がstartしたのでした。しかし不思議なもので洋画を観ていても字幕なしでは、さっぱり理解できないはずの英語が、ぼんやりとではあるが分かるのである。趙さんがこちらのレベルを理解して、優しく伝えてくれている事はもちろんそうであるが、人間、必要に迫られると集中力、あるいは火事場の馬鹿力のようなものが発揮できるものだなと、一人納得したのでした。

竹島や教科書問題などについて話題も上がったが、幸い、詰問されるようなことも無く、お互いの会社での役割の話や、日韓中の箸の長さの違うことの理由を教えていただいたりして、次第に緊張感もほぐれ、親睦が図られた。

それにしても異国の地でゼロからこれほどの人脈を築かれた、藤井社長の努力がどれほど大変なものであったか垣間見えたような気がした。

帰りに趙さんにメールを送るからと言って別れたが、その後、未だに送ってないのが気がかりである。

その後、ジョーさんに南天門市場という、店舗や露天商が軒を並べる繁華街を連れ歩いていただいた。金曜の夜ということもあり、かなりの賑わいであったが、南天門市場の商売人達は必ずと言って良いほど、日本語で話し掛けて来る。同じような顔つきなのに、何故、日本人だと分かるのだろうと、首をかしげる事しきりであった。ジョーさんに尋ねてみたが、日本人独特の雰囲気があるのではないかとのこと。韓国の商人が商売のため身に付けた見分け方でも有るのだろうと納得し、その商人魂には舌を巻きつつホテルに帰った。

二日目も朝から好天気であった。この日からジョーさんの友人のパクさんにも来ていただき、一緒に案内していただいた。この方も日本の大学に留学していた経験の持ち主で、流暢な日本語を話した。

現在、ソウルでは清渓川復元工事という壮大な建設工事がなされているというので、早速、見学に出掛けた。工事の経緯及び概要は以下のとおり。


清渓川とはソウルの中心部を流れる川で、古くから大雨のたびに氾濫していたが、普段はほとんど水の無い川であったため、汚染がひどく清渓川を埋めるべきだという意見があった。そして本格的にふたをする工事が1958年から1978年にかけて20年にわたって行われた。


1984年に清渓川道路として幅50メートルから80メートル、長さ約6キロの公式路線として広告された。さらに清渓高架道路は、1967年から工事が始まり、1976年に完成した幅16メートル、長さ5.8キロ、往復4車線の自動車専用道路であった。

しかしこの清渓川をふたで覆ったことは、環境を重視する現在の流れに合わない。ソウルをきれいな水が流れ、緑豊かな美しい都市へと変えて、環境都市として新しく生まれ変わらせるために、清渓川を復元させようというのが現在の工事である。





(「清渓川復元推進本部」のパンフレットから抜粋)



サムシングとういう建設会社の現場事務所であり展示場でもある仮設の建物に案内され、昔、川があった頃のソウルの町並みから、道路建設後の状況、そして川を蘇らすという計画に至った事情などを仔細に説明していただいた。もちろんソウルでもこの計画には賛否が別れ、激論が戦わされたそうであるが、結局、現ソウル市長の公約であったため、実行されるに至ったとの説明であった。

現地見学が終わると、今度はタクシーに分乗して観光地に行く事となった。我々3人の乗ったタクシーには韓国語の分かる者がいなかったため、最初にジョーさんから運転手に行き先を伝えてもらっていた。しかしそれがいけなかった。連れて行かれた所は何やら城壁のような高く長い土塀で囲まれた施設の出入り口付近。チケット売り場もある。しかしいくら待てども、他のタクシーが来ない。だんだん不安が高まってくる。いくらなんでもこんなに遅いはずは無いし、予定と違う所に連れて来られたことを確信したものの、予定していた場所が何処なのかが分からない。連絡を取ろうにも携帯電話が無い。ホテルに備え付けの携帯電話があったが異国で使う事も無かろうと持って来なかった。辺りには公衆電話も見当たらなかったので、仕方なく、客待ちタクシーの運転手に昨夜、意思疎通が可能だと判明した英会話で、電話を借りることにした。なんとか電話をかけてもらうことには成功したものの、頼みの綱の添乗員は圏外でつながらないらしい。何かあったら電話をするよう言われていたのに、などと嘆いてみても始まらない。機転を利かした運転手が、ソウル市役所の日本語の分かる方へと繋いでいただき、我々と運転手の通訳をしてもらい、とりあえずホテルに帰る事とした。そのタクシーは別の客を待っているとのことで、わざわざ別のタクシーを拾っていただきお礼を言って分かれた。タクシーに乗り込み100m程進むとジョーさんがいた。

・・・

「景福宮」という1395年に創建された朝鮮時代の正宮に案内していただいた。3人が見ていた壁は宮殿を取り囲む塀であったらしい。正門である「光化門」から入るとすぐに「興礼門」があり古の甲冑に身を包んだ門番の出迎えを受ける。話し掛けられても、写真を撮られても微動だにしない姿が、当時の規律の厳しさを物語っているようだった。そして門をくぐると「勤政殿」「思政殿」等々、10以上の壮大な建物があり国王を中心に政治が執り行われていたとのことであった。

午後は、仁寺洞(いんさどん)という、主に、工芸品や書画を扱う店が多く軒を並べた街に案内してもらった。半日近く見て回ったが、なかなか飽きない面白そうな物であふれていた。ただ、やはり欲しいと思えるものは、それなりに高くて、日本と物価は変わらないと思えた。さらに東大門市場いう観光客の多い繁華街へと案内していただいたり、免税店のあるデパートなど案内してもらい、ジョーさんとパクさんにはお世話になりっぱなしであった。

二日目の夜はさすがに歩き疲れていたこともあり、夕食を済ませた後は外出を控えて、社員5人とジョーさんパクさんでホテルのバーで語らった。何かの拍子に徴兵制の話しになり、韓国内での徴兵制に反対する声も多いのじゃないかと訊ねたが、そんな事は無いとキッパリ言われたのは意外だった。日本ではあまり感じたことの無い、隣国との緊張関係は確実に存在しているのだと、改めて感じた。いつの日か、南北統一しなければならないと遠い目をして語るパクさんの言葉が心に残った。

三日目、お世話になったジョーさんとの別れを惜しみつつソウルを後にした。

日本に帰ってから韓国でお世話になった方々にメールを送るべく、直ちに韓国語の入門書を購入してはみたものの、最初の数ページでつまずき、未だに送ってない。当然ではあるが、韓国も難しい。韓国語を勉強するからとジョーさんやパクさんと約束したので、いつか再会するまでには間に合わせねばと思っている。

最後に、忙しい最中、仕事を残しつつも旅行に行かせて下さった同僚社員の皆様、さらに旅費宿泊費を負担して下さり、韓国の方々と引き合わせていただきました社長、そして慣れぬ異国の地で親切にもてなして下さいました韓国で出会った全ての方々に対し、この場を借りて深くお礼を申し上げます。有難うございました。