日韓技術交流

藤井 三千勇

【1. 交流のはじまり】

 日韓技術交流のきっかけは、平成元年島根県と韓国慶尚北道が姉妹提携協定を締結したことに始まる。
 私は当時、島根県技術士会の会長をしており、島根県技術士会と慶尚北道の技術士会との交流を図ることを思い立った。
 しかし交流の道のりは長かった。島根県を通しても日本技術士会を通してもなかなか韓国の技術士会とは通じなかった。手紙・FAX・電話等で連絡はしても確たる返事はなく、なかば諦めかけていた。その時、日韓技術士会議が毎年東京・ソウルを交互に開催され、20回も行われている事を初めて知った。平成2年には東京で行われることになっており、私も初めて出席した。そのとき韓国技術士会長にもお会いし、お願いをした。
 平成3年3月、島根県技術士会代表として私を含め3名が韓国技術士会を訪問した。
 今までの状況から1時間も話が出来ればよいと思っていたところ、韓国技術士会の副会長をはじめ理事10名位が、私達を迎えてくださり大歓迎を受け、お昼には盛大に歓迎パーティーを開いていただいた。人は手紙・FAX等ではなかなか心が通じるものでなく、顔を合わすことが如何に大切であるかを痛感した。わざわざ韓国に来てくれたことに韓国側はいたく感激してくれた様であった。その時次の年(平成4年)新潟での日韓技術士会議後に松江を訪問する様お願いしたところ、快く引き受け翌年、鄭副会長・李理事(現副会長)が来松された。
 また平成3年10月には、ソウルで日韓技術士会が行われ島根県からは私一人参加した。
 この時も日本側は殆どが東京近郊の人の中で地方から私が一人参加したので大変喜んでくれ、スピーチをするよう求められた。出雲から来たことを云うと韓国の人は出雲神話をよく知っており、君の国は我々の国(ウリナラ)からもっていったものだなどと国引きの話など話題になった。
 この懇親会の中で、後に多くの交流のきっかけとなった許填氏との出会いがあった。

平成4年 新潟大会後に来松された時の懇親会風景。
渡部修技術士のどじょうすくいに大喜びする鄭副会長。
[next]