日韓技術交流

【2. 許填氏との出会い】

 許填氏は火薬学会の会長であり、火薬とトンネルの技術士であった。英語も堪能で、アメリカのPEも取得されていた。大変タフな人で、頭もすごく切れるという人であった。その時「私は日本の東京周辺での現場はよく見ているが、地方の現場を見ていない。是非、一度案内して欲しい。その代わりソウル地下鉄については私がいつでも案内する」と云われた。
 しばらくして彼からFAXが入り、是非地方を案内願いたいとのことであった。
 当時車の手配・宿の世話等、どの様にしてよいかわからず断ることは簡単であったが、何とか実現してみようと思った。
 県から国際交流の補助金がでることもわかり、在日韓国居留民団の存在も知り朴団長及び島根韓国学園の林園長とも心安くなった。
 韓国の風習・考え(儒教)等も学ぶことが出来た。林先生からはその後、韓国語を習い8年にもなる。
 平成4年1月13日〜19日にわたり岡山瀬戸大橋、広島の新交通システム、島根原発等の見学会を実現した。19日夜には県の総務部長をはじめ民団の朴団長、多くの関係者を集め盛大に懇親会を開いた。
 その時、韓国の若い技術者の一人がかなり長い間スピーチを行ったことが印象的であった。
 彼の話を要約すると「自分は今まで、日本に対して良い思いはなかった。過去には侵略された国として教育されていた。しかし、大変今回の見学会はこの思いを一変させるものであった。大変技術的にも勉強になったし、日本人の心にふれることが出来た、過去にとらわれるのでなく、これからは未来に向かって共に努力したい。」と云うものであった。
 大変苦労した見学会ではあったが、実りの大きいものであった。
 その後数回の見学会を行い、こちらからソウル地下鉄・仁川国際空港の現場見学など技術交流が活発に行われた。これらの橋渡しは皆、許填氏である。
 許填氏は、今年(平成12年)2月にアメリカにおいて突如死去された。

許填氏(右)と私。ロッテ百貨店にて。
許填氏(右)と私。或る会食の席上にて。
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